Vol.2 からだを起こした状態で休むほうが寝やすい?―ベッドの傾斜と呼吸の話

Vol.2 2023年8月 

まだまだ知らない呼吸の話――エビデンスを深掘りする
稲葉晃子 米国NATA認定アスレティックトレーナー
 
からだを起こした状態で休むほうが寝やすい?
―ベッドの傾斜と呼吸の話
 

ソファーでテレビを見ながら気持ちよくうたた寝をしていたのに、ベッドに入った途端に眠気が覚めてしまった経験はないでしょうか。最近、高級なベッドメーカーのコマーシャルで「入眠角度」という言葉を耳にします。仰臥位でフラットに休むよりもからだを起こした状態で休むほうが寝やすいという“inclined bed therapy”というものが欧米で出現しています。今回はこの入眠角度―ベッドの傾斜と呼吸に関して検証していきます。


厚生労働省の調べ(https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-02-008.html)によると、グラフから日本人は世界でも抜きんでて睡眠がとれていないということがはっきりとわかります。また、一般成人の30〜40%が何らかの不眠症状(入眠障害中途覚醒早朝覚醒)であるとも言われています。不眠症状の原因はストレス、精神疾患、神経疾患、アルコール、薬剤の副作用などさまざまであり、加齢により睡眠障害は増加しています。睡眠障害は単に眠気を日中起こすという問題だけでなく、慢性化するとさまざまな健康問題へとつながる生活習慣病にもつながっていきます。不眠は決して侮れないことなのです。

太田美音総務省統計局労働力人口統計室)「統計」2006.参考

 

不眠症の改善には一般的に専門医による睡眠薬等の処方に加え、規則正しい生活習慣、運動習慣の確立、太陽光を浴びる、就寝前のリラックスタイムなど言われています。それらに加え、「入眠角度」は仰臥位から傾斜角度をつけて休む方法で、効果的なアプローチになることが期待されています。しかし、決して高級なベッドに買い替えるということではありません。枕などの高さを調整することによってからだの傾斜角度を変えることでも対応可能です。

ここで「ファウラーポジション(Fowler's position)」について説明します。ファウラーポジションとは、医療、介護で用いられるベッドでの姿勢で、膝はまっすぐかわずかに曲げ、からだの傾斜はスタンダードでは45~60度、その他に15~30度、30~45度などがあります。これらの傾斜は重力の影響を受けずに最大限の胸部拡張を可能にし、腹部の筋緊張と胸壁への重力の影響を最小にします。これらにより酸素供給が促進されるため、軽度から中程度の呼吸困難の患者に有用なポジションとされています(National Library of Medicine参照)。


このファウラーポジションをヒントに、ベッドメーカーは、宇宙飛行士が無重力空間で全身の力を抜くと形成される最も自然な姿勢「中立姿勢」で、からだにかかる重力が変わり、水平に寝るよりも全身が楽に感じられるとしています。ベッドメーカーが提案する入眠角度は30度くらいが患者だけでなく、一般の場合でも呼吸が楽になり入眠しやすくなると考えています。


神戸大学医学部教授の石川朗教授らによる研究で、背上げによって横隔膜の動きへの影響を科学的に実証したものがあります。健康な人の呼気時のMRI画像で、フラットの仰臥位と20度の背上げをした状態での横隔膜の動きを比較したところ、仰臥位では横隔膜が腹腔から広がった内臓で動きが制限されてしまいます。しかし、背上げをした場合には、内臓が重力で骨盤側に下がって胸腔が広がり横隔膜が動きやすくなるのです。さらに石川教授によると、角度が大きいとより横隔膜のうごきは内臓による圧迫が小さくなりますが、寝返りを打ちづらいということになるので、30度くらいが適切だとしています。

ベッドの傾斜と呼吸の機能との間に何らかの関係があることは間違いないでしょう。この呼吸機能の中心にあるのが横隔膜です。三重大学ストレス健康科学分野の小森照久教授によると、長い呼気によるリラックスの要因として、横隔膜の動きが副交感神経への刺激となるとしています。横隔膜は、呼気でリラックスして肋骨の中でドーム状に弛緩し、この時にドームのトップが一番高くなります。反対に吸気でドームは平たく下降します。この横隔膜の肋骨内での呼気で高いトップの位置から吸気で平らになるまで動く範囲 (ZOA:Zone of Apposition)が大きいほど効率的に空気を肺に出し入れできることになるのです。

もし、この動きが小さくて空気の出し入れが十分できなかったら、呼吸補助筋を使って空気の出し入れを行います。安静時の呼吸では、横隔膜をメインに息を吸いますが、運動したりストレスを感じたりすると、首の斜角筋や胸鎖乳突筋などの呼吸補助筋を動員し十分な空気を得ようとします。呼吸補助筋が過活動してしまうと交感神経が優位になり、寝ているときでさえ興奮状態になってしまうので、安眠は難しくなることがわかります。寝るときはできれば安静時の呼吸で副交感神経優位の状態でおだやかに休みたいものです。

良眠には、横隔膜の十分な動きがとても重要であることがわかりました。しかしながら、現代の生活では呼吸が浅くなりがちで横隔膜が十分に動けなくなる傾向にあります。

次回は横隔膜の動きに関してもう少し詳しく見ていきましょう。
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その他のベッドや枕の傾斜に関しての研究
睡眠時無呼吸症候群:睡眠時の傾斜角度についての2017年の研究では、睡眠時無呼吸症候群を持つ人々に効果的であるということがわかってきました。睡眠時無呼吸症候群は、喉の奥にある舌を含む軟組織が重力によって下がり、気道を塞いでしまうことで起こる睡眠障害です。良質な睡眠を妨げるだけでなく、放置しておくと心臓病や糖尿病など、より深刻な病状につながる可能性があります。適切な医師の診断とともに、ベッドや枕の傾斜を変えるということは試す価値があります。

The influence of head-of-bed elevation in patients with obstructive sleep apnea. Souza FJFB, Genta PR, de Souza Filho AJ, Wellman A, Lorenzi-Filho G. Sleep Breath. 2017 Dec;21(4):815-820.


いびき:2020年の研究では、定期的にいびきをかく人に対するベッドの傾斜の違いによる影響を調査しました。研究者たちは、被験者の上半身を10度または20度の角度に傾けてみた結果、10度では22%、20度では67%の人がいびきをかかなくなったことがわかりました。いびきは睡眠時無呼吸症候群ほど深刻ではないですが、いびきは改善しなければ睡眠時無呼吸症候群につながる可能性があります。ベッドや枕の傾斜を変えることで、気道が開いて酸素の取り込みやすくなります。また、家族の中にいびきをかく人がいると睡眠不足に陥り、それが不眠症へとつながるケースも多いと聞きます。特別な機器は使わずに枕などで調整できるアプローチはとても取り組みやすいでしょう。

The anti-snoring bed - a pilot study. Elisabeth Wilhelm, Francesco Crivelli, Nicolas Gerig, Malcolm Kohler, Robert Riener. Sleep Science and Practice volume 4, Article number: 14 (2020)  

脳の老廃物の除去:からだの老廃物は通常リンパシステムで除去されますが、脳にはリンパ管がないことで、どのように脳から老廃物が除去されるかということが長い間、疑問視されていました。2013年にこの排出経路はlymphatic system(リンパ系)とglial cell(グリア細胞)とを組み合わせて、glymphatic systemとして名付けられたのです。glymphatic systemはおもに睡眠中に稼働するので、睡眠不足によって機能低下が起こると老廃物が脳から除去されずに蓄積し、集中力が低下することは想像しやすいでしょう。glymphatic systemも、ベッドの傾斜をつけることで、脳からの老廃物などの排出も促される可能性が高まっています。

Sleep Is Compromised in 12-Head Down Tilt Position
Alessa L. Boschert1, David Elmenhorst, Peter Gauger1, Zhili Li, Maria T. Garcia-Gutierrez5, Darius Gerlach1, Bernd Johannes1, Jochen Zange1, Andreas Bauer, and Björn Rittweger. Frontirs Research. ORIGINAL RESEARCH.16 April 2019

禁忌事項:U.S. Consumer Product Safety Commissionによると、10度以上傾斜しているもの、特に柔らかい素材のものは、赤ちゃんにとって安全ではないとしています。赤ちゃんの頭はからだに対して重いため、頭が前に倒れ、気道を塞いでしまうことがあります。また、下肢浮腫や静脈不全などの特定の疾患を持つ人には禁忌事項になる可能性があるとしています。

 

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稲葉 晃子(いなば あきこ)
1963年生まれ、兵庫県出身。米国NATA認定アスレティックトレーナー。1991年まで、女子バレーボールチームユニチカや全日本選手として活動。現役を引退後、米国に留学。留学カリフォルニア州立大学を卒業後、トレーナーとして全日本女子バレーボールチームや様々なトップチームの指導を行う。選手時代から自らも体験し培った腰痛の知識を役立たせたいと思い、腰痛指導を重ね、2012年に米国から帰国しロマージュ㈱を設立。アスリートの指導から、大学、企業、病院・介護施設自治体にて指導、講習実績多数。自力で取り組む大切さを多方面で伝えている。


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